希4観念

命というのは、尊い

 

健康という枠にはまっていたら

 

血液は勝手に作られる、勝手に呼吸ができる、勝手に歩いて前に進める

 

では

 

なぜ生きているのか

 

命はむつかしい、人の生きる道はむつかしい

 

単純と複雑は表裏一体

 

むつかしい、むつかしい、むつかしい

 

ふと自分に労力を割く

自分に世間で言うところの投資をする

 

これは淵への反抗か

自分が淵に沈まないように

とにかく理由を作る

 

今踏みとどまりこうべを天に伸ばさんとする理由

 

それが関与しない病

それこそが死に至る病である

壁の向こうが他人

アーバンシティの端っこから、こんばんは。egoです。

  

 

今日は、締め切りをそばの生地かってくらい伸ばしていた動画編集をやっています。

いや、これからやります、ごめんなさい。

 

 

今日は他人と空間の話をします。

 

egoは、一昨日くらいから、アトリエなのかセカンドハウスなのかよくわからない部屋を契約しました。といっても、ごく短期間ですが。

 

その部屋で過ごしていると、思うことがあります。

タイトル通り、壁の向こうは他人です。

 

世の中には、マンションなりホテルなり、

壁と天井でプライベートな生活空間が仕切られる構造の建物があります。

 

egoは昔から、その類の建物の中で長時間を過ごすのが得意ではありません。

なぜなら、そこには他人の息遣いや、一挙一動を感じざるを得ない環境があるからです。(不可避だと思っている)

 

 

マンションなんかに普段住まれている方は、egoが過敏すぎて、ガビーンかもしれませんが。

 

多分、人間があまり得意じゃないです。

 

あいさつするのも相当エネルギーいるので。

しかも、プライベートかつ限定されたシチュエーションや空間(マンションの廊下とか)であいさつとか。考えただけで恐ろしいです。

 

この場合は、あいさつという行為が恐ろしいのではなく、自分と他者が一つの空間に存在することによって、関係性に縛られる(この場合、ご近所さんという称号)ことがなにより怖いです。ego、逃げられませんので。

 

だから、年齢的に幼い頃から、ドア的なものを開く際は必ずのぞき穴をのぞきます。

ストレートにドア開けて人がいたら、最悪だからです。最悪どころじゃないよ・・・。


のぞいてみて、もし誰かが近くにいたら、今度はその人のことを少しでも把握しようとします。

どこに住んでる/滞在している、どんな人なのか。少しでも、情報を収集しようとします。少しでも心理的に優位に立ちたいんですかね・・・。

 

 

話が逸れてる気がします。

とにかく、あいさつに関してはストレスがメガンテ級ということです。

 

しかし、あいさつが重要なのは頭でわかっているので、

とりあえず頭下げとけば大事にならないだろうと、年上・年下・知人・他人問わず頭を下げる癖がついています。

 

うう・・・動画編集しないと・・・。今日はこのへんで。

 

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KETSUの穴

こんばんは、egoです。

 

突然ですが、この手記に読者はいないも同然です。読者がほとんどいないのであれば、読者をはじめから想定しないで、つらつらと書き綴ることにします。

 

正確には、「そうしたい」のです。

 

画面に向き合ってキーボードを叩き、"Publish"のボタンを押す瞬間、どうしても読まれることを想定してしまいますが。

 

おそらく、それが健全ですね。

 

マイペース

ご無沙汰してます、egoです。

 

ここ最近という範疇を超えて数ヶ月くらい、書こう書こうとも思ってなかったし、書くこともみつからなかったです。

 

いざはてな書くかー、と思ったら。書きたい題材が山のように溢れてきました。

 

マイペースに更新していきます。

惰性とカビ

 

惰性が焦燥感と自己否定を持ち寄って、

身動きが取れなくなって、

また惰性が生まれてしまうんです。

 

光いっぱいのバスルーム、

美しく磨き上げられたバスタブ、

しかし片隅には、

どうしても漂白しきれないカビがあるんです。