真面目コンプレックス
こんちは、egoです。
きょうは満月らしいです。
満月なのかと思って、ベランダに出てみましたが。
秋の夜長をお月見で感じる侘び寂びも、お月見バーガーを食べる食欲も、「月が綺麗ですね」とツイートしてデュフデュフ笑うユーモアも、まだ持ち合わせていませんでした。
さて、今回は真面目コンプレックスというタイトルからのスタートです。タイトルからわかる通りの自分語りコンテンツです。
わずか前に自分語りよりも外の世界に目を向けます宣言をしたのに、一瞬で自分語りに出戻りしてしまいました。
やっぱりこのblogに書きたくなるのは、自分というニンゲンの一個体を通して世界を見て経験したモノ・コトを微妙な尺度で分析する内容にすぎないようです。
つまりこのblog、自省録というニュアンスで合ってるみたいです。
さて、前置きはこの辺にして、今回は「真面目コンプレックス」について書いてみたいと思います。
egoは根が非常に真面目です。根が真面目人間あるあるかもしれませんが、多少ぶっ飛びたいです。ブレーキをかけずにコーナーに突っ込んでみたいです。
まず真面目について考えてみたいなと思います。とりあえず真面目というのは性格の一種だと定義してみます。
人間の性格(性質?)を表すことわざとして「三つ子の魂百まで」とよく言いますが、これにはファクトが存在していて、ニンゲンの人格は大体3歳までに形成されるらしいです。
といっても、ニンゲンの性格の約50%は遺伝に由来するとも考えられているので、実際は遺伝子ゲームでもありそうです。
つまり、真面目な性格は、親が真面目で真面目が遺伝したケースと親や身の回りの環境が奔放であり反面教師にして後天的に真面目という性格が養成されるケースに分けてみます。別にわけなくてもいいんですけど。
egoの場合、かなりの割合で真面目が遺伝したと考えられます。両親ともに真面目です。母親に関しては広義の公職、母親の両親(つまり祖父母)もド真面目です。
そもそも日本人って地球で俯瞰してみると比較的真面目という評価を受ける民族な気がしますが、この国には真面目遺伝ワールドが広がっていますね。絶対に。
あと、よく「変なところだけ真面目」という言葉が描写として利用されますが、大抵のケースは根が真面目なだけです。日本には、これ自称してる人も他称してる人も多いイメージです。やはり真面目だらけ・・・。
egoが真面目という話から随分広いところまで話を広げてしまったのですが、一旦かきあつめて。
誤解されたくないのですが、別に真面目が悪いと言ってるわけではないです。真面目な要素が失われると社会のシステム系が崩壊する気もするので。
egoの場合、真面目が邪魔だなと思うことが増えて、真面目コンプレックスがkskしました。egoは職についているのですが、その職というのが真面目に暮らしてるだけではうんともすんともいかない仕事をするので。
陳腐な表現をすれば考えたモノ・コトが「面白い」という定性的かつ主観的尺度で評価される、そしてより「面白い」ものが「偉い」世界です。
「面白い」のが「偉い」なら、「面白い」ことを考えるのが筋でしょう。あ、筋とか言っちゃって真面目ですねー。
厄介なのが、この「面白い」です。「面白い」は、二次感情であって「面白い」の前には必ず「驚き」があります。自分が面白いと思ったタイミングを思い出してみてください。多かれ少なかれ驚いていると思います。つまり予想外ってことです。「面白い」ためには予想外が必要なんです。
さて、真面目の話に戻ってみましょう。真面目のネックは想定内です。真面目から生み出されるものは規則・慣習・枠の中に囚われた発想でしかないことが多いです。なにしろ真面目なので。冒険は避け、知らず識らずのうちに敷かれたレールの上を歩いていることも多々あるはず。それがegoが考える真面目の業でもあります。
真面目もとことん真面目になれば、それはそれで極端なので面白いと思いますが、自分はそこまで極端になれない真面目さを持っています。だから厄介です。
このblogで、このテーマを書こうと思ったのも、今ちょうど発想の危機に追い込まれている当事者であることが大きいです。
絶賛真面目コンプレックスしてます。
「面白い」が「偉い」とされる世界で、想定外がうみだせないことは、すなわち死です。
発想の死というのは会議で十字架にかけられている感覚になります。
枠からはみ出せていないモノ・コトというのは潜在的にわかるので自分でも気乗りしないまま、というより死にたくなりながら自分が産んだアイデアとして裁判にかけられている気分を味わいます。あー恐ろしい。
かと言って真面目な職業で真面目に働けるほどは真面目ではないです。圧倒的中途半端。
結論:ビミョーな真面目やめたいです。
結局脱線してましたが、真面目コンプレックスのお話でした。
とりあえず現実逃避はやめることにして。
明日(今日)の会議に向けて、真面目を殺しながら脳みそを絞ることにします。