私事に界面活性剤はない
ここ数ヶ月ほど、"一人称"を何にしようか考えあぐねていた。
最もポピュラーな「私」から始まり「ぼく」、「拙者」、「それがし」に至るまで。
で
一人称は"ego"になります。
後記:謙虚のかたまり、初手から謙虚スギョエ:
[代]一人称の人代名詞。武士が多く用い、本来は自分をへりくだっていう語であるが、尊大な態度で用いることもある。(コトバンク)
音楽をみる
音楽をみる。
一つ一つの音の煌めき、うねる音のうま味成分。
直接、細胞にアクセスして染み渡る。
このちっぽけな体だけじゃ受け止めきれない。
街の端から端まで駆けずり回りたい気分になる。
鼓膜が最低4つは欲しくなる。
皮膚を、頭蓋骨を通り越して。
全て破って満たされたい。
ホルマリンが音楽だったら。いま浸かるのも悪くない。
陶酔。そう思う。非現実。これが実情。
ego、音楽は一文字で括る癖がある。
放射線の"放"にカテゴライズされる音楽は、音の先が長い。
長くて細くていくつも走る。
走って走ってゴールはない。
しかも切り返しの中間地点はなくて。
一方通行。
Lyric、歌詞を聴きながらの音楽はあまり見えない。
受験勉強では、文字を読みたかった。だから。
言語情報を排除しようとした。言語的に咀嚼不可能な記号しかふくまないものを。
けれど
音はそれ自体でじゅうぶん歌詞だった。
組み合わさって意味を作って、解釈を生んで。
目にうつる。
色のような。
「なんか」って口癖すきじゃないかも
生み出さないうちは、殻の中。
生み出しても届けなければ、海の中。
生み出して届けた先はどこ?誰のもと?
坂の先、朝焼けの向こう、猫と砂利と換気扇。
悩んでる、じつに
おおげさだけど
タトゥーいれるみたいな気分
いちばんこまるかも
じゃあ刻印なんて入れなきゃいいじゃん、て?
そーかも
いずくんぞ、心は
通常
心
その存在は
胸すなわち心臓じゃなくて
頭すなわち脳にあると
理解している
しかしながら
コアが蝕まれたり
打撃を被った際には
心臓の近くが深く落ちくぼむ
これは昨年のいまだけど
意外と春だったりして