思考停止のワナ

相変わらずアーバンシティの端っこで埋まってるegoです。こんばんは。

 

どうでもいいこと甚だしいですが、このblog更新時間が夜(夜の定義を21:00-03:00とした場合)でした。

とっても夜型。実直すぎて何にもならない感想を失礼。

 

ところで、今回のテーマは「思考停止」です。

 

egoは、昔も今も思考停止で生きてる節があります。思考停止は無意識や意識下と混同されがちな傾向もあるかもしれませんが、ここでは定義をはっきりさせておきます。

 

kotobank.jp

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みんなお馴染みコトバンクの定義を並べてみました。そもそも「思考停止」の定義はサラッと調べたところ、みつからなかった・・・。明確な定義があって通用する言葉というよりかは、慣習的な文脈が強いのかもしれません。

 

ちょっと仰々しく引用したけれどあえて、「思考停止」という言葉を使って記事を書きます。定義は単純に「モノコトの動機・影響・結果について何も考えてない/何も考えてないように見られる行動をする」で。

 

話を戻しますが、egoが思うにその「思考停止」こそが、egoの人生における諸悪の根源。なのかな。

事実、egoが人生で生んできた数々のやらかし、その大部分は思考停止から派生するモラルの低さや意識の低さから生まれてます。

 

大々的なやらかしとは結びつきませんが思考停止があったからLINEなどでスタンプを送るにしても、TPOや意味なんて考えずにテキトーに送ってたことを思い出しました。

スタンプだけでなく、メッセージやその他もろもろも大体そうです。

 

小学校高学年、校内での学校郵便イベントで学校の友達に葉書を送る場面では

 

「セコムしてますか」

 

これだけ(しかも文字のみ)を書いた葉書を隣のクラスの旧友に向けて投函したところ、先生に呼び出されて怒られました。

正直何にも考えてませんでした。当時、そのフレーズが巷で流行ってたのかな。

これに関しては、何がいけなかったのかいまだによくわかりません。

誰かえらい人教えて下さい。

 

他には、小学校中学年〜高学年で仲の良い友だち数人と俗に言う「交換日記」をしていました。しかし、egoが書く文章内容があまりにも脈絡や因果を無視したランダムな体系のアプローチだったのか

 

「もう少し考えて書きましょう」

 

という若年層の友人同士であまり交わされなさそうな注意勧告を受けました。それも紙面上で。

 

そして、今は少し訓練して全体状況を俯瞰できるようになりましたが、ドラマや映画でよくある感情の伏線なんかも汲み取るのがとても苦手でした。

 

 これ以外にもたくさんあるエピソードの中から、比較的昔で比較的関係者にダメージ及び影響が少ない例を挙げてみました。

とにかく、昔からegoはなんの脈絡もない行動をすることが非常に多かった。中学校の頃なんて廊下や美術室の後ろで踊ってました。なんの動機もなく。今でも当時の友人からフィードバックを受ける機会があるのですが、毎回覚えてないことに直面したりします。

 

何が言いたかったかと言うと、思考停止は恐ろしいよって話です。知らないうちにたくさんの黒歴史ができたり、たくさんの人間関係を壊したり、たくさんの金銭物品を失うこともあります。

 

対策があれば超募集中です。

 

思考停止の渦の真ん中にいるアーメンegoは、今後自分の思考に「なぜ?」を繰り返したり、思考を記録しておくのが重要なのかなって。

 

とりあえずがんぱります。