刹那的に消費され続けるコンテンツ

数年前からsns業界の端くれで働いていたego、ふつふつと湧き上がっていた実感がありました。

 

しかし、ずっと長い間、言語化することは難しくて。

それがモチベーションの低下や、"なんとなく"働くのが嫌であるという感想につながっていました。

 

 

そして気づいたのは、そのモヤモヤの正体は"刹那的に消費されるコンテンツ"に対する抵抗に近い感情を源にしていること。

 

例えば、今回は実体験に基づいてinstagram。利用したことがある人が増えてきていると思うので、サービス自体の説明は省きますが。

 

きっかけは、数年前。ひょんなことからInstagramに関する仕事を任されました。そして、あろうことか短期間である程度の成果をあげてしまった。egoは雇われの身なので、それから結構長い間Instagramにまつわるアレコレ担当していました。

 

最初は楽しかったんですよ。もちろん最初は。成果が定性的な指標じゃなくて数値で現れるのって、自分のやったことに対する結果が顕在化して達成感あるじゃないですか。同意を求めるつもりはないですが。

 

それがいつからか、変わったと。

 

流れ作業で"いいね"を押して、発見タブに流れてきた投稿をスワイプして。

タイムラインを通過していくコンテンツが、川を埋め尽くすゴミたちのように見えてしまった。

 

いくら工夫してみても、いくら工数をかけても、なにか逆らえない大きな流れがあるような気がして。

snsの存在意義がリアルタイム性やトレンド性に支えられたものであることは理解しているんですケド。しかし、さまざまなコンテンツが瞬間的に消費されて忘れられ、捨てられていく感覚に慣れてしまったら一種の敗北のような気がするんです。

 

という、皮膚の内側からの抵抗。